|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 天 : [てん] 【名詞】 1. heaven 2. sky ・ 天神 : [てんじん] 【名詞】 1. heavenly gods 2. Michizane's spirit ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 山城 : [やまじろ] (n) mountain castle ・ 城 : [しろ] 【名詞】 1. castle ・ 因 : [いん] 【名詞】 1. cause 2. factor ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
布勢天神山城(ふせてんじんやまじょう)は因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市湖山町南、布勢)にあった日本の城(丘城)で、戦国期の因幡国守護所とされる。布勢は布施とも表記される。 == 歴史 == 『因幡民談記』によると、1466年(文正元年)因幡国第5代守護・山名勝豊によって二上山城より守護所が移転されたと伝わるが、勝豊は1459年(長禄3年)に没しており、この年代には疑義がもたれている。確実な史料による初見は1513年(永正10年)である。一説に『応仁記』にみえる布施左衛門佐は山名豊氏を指すのはないか考えられており、豊氏の築城との指摘もある。(平凡社『日本歴史地名大系32 鳥取県の地名』) 第13代守護・山名誠通はこの城にあって、同族である隣国但馬守護の山名祐豊と対立、敗死した。誠豊の死後、守護職は豊定、棟豊と但馬山名家から送り込まれた人物が継承した。棟豊が若くして死去した後に家督を継いだ守護・山名豊数の時、重臣・武田高信が鳥取城を本拠として離反する。1563年末(永禄6年)に山名豊数は武田高信の猛攻を受けて布勢天神山城を退去し、鹿野城に退いた。1573年(天正元年)尼子氏の援助を受けた豊数の弟・山名豊国が武田高信を鳥取城から追い、守護所を鳥取城に移転させ、天神山城は廃城になったとされる。この時、天神山城に聳えていた3層の天守櫓も鳥取城に移築されたという。 ただし、山名豊数が武田高信の攻撃によって鹿野城に退いた1563年以後は、確実な史料に因幡の政庁として天神山城の名前が出てくることはない。また、1573年(天正元)頃に出された毛利氏発の文書で「鳥取城が尼子方に奪われたために布勢天神山城を毛利氏最前線の防衛拠点として整備したいので、鹿野城(毛利氏の因幡におけるこの時点での拠点))から帆や蓆を天神山城に送るように」と指示したものがある。いずれにしても天正年代初頭には、布勢天神山城は毛利方・尼子方のいずれからも放棄されていた可能性が強い。確実な廃城時期については今後の検証が必要である。 その後、1617年(元和3年)に備前岡山の池田光政が鳥取に転封された際、手狭な鳥取城に替わる新城候補地として、城地の要害と城下町を作る利便性から布勢天神山城が新城として検討されたことがあった。しかし半世紀近く前に廃城となっているため整備に時間がかかることから、布勢天神山城が再び因幡の首府になることはなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「布勢天神山城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|